39:曜日だぁ [AŬTODIDAKTE]
テキスト上では、まだ計算の言い方をくどくどやってまんなぁ。っていうか復習でおじゃる。
でもさ、こいつはどう訳すのかわっかんねぇぞい。
Ni vidu!
ん~、あとの文章からして、おれらは見ようじゃないし、あぁん、ヘルプゥです。vidiには、わかるという意味もあるようなのでぇ、おれらは分かり合いましょう、理解し合おう、??? お手上げだぴょん。辞書を引いても、わからん。お勉強の8割原則でほっておくか。
※お勉強の8割原則がなんのことか分からない人は、ググる。
で、例によって唐突な話題だよ、もぅ。
En la jaro 1887 oni faris la unua Esperantan lernolibron.
どうやら年号の言い方を教えたいらしい。「1887年にぃ、最初のエスペラントの教科書を作りましたぁ」かな。「En la jaro 1887」は、普通は「En 1887」でいいんだって。
生徒は質問があるらしく、うじうじしていると、先生はこういうって質問を促すんだフォ~。
Pri kio, do?
Bonvolu diri al mi nomojn de la tagoj en Esperanto.
先生、イライラしてますぞ、「では、何についてだよぉ?」、生徒はこれまたビビッて「エスペラントで日の名前を、あたいに言ってちょうだい」ですかね。ちなみに「Pri kio, do?」は「Do pri kio?」でもいいらしい。
で、結局、曜日のことですな。
Lundo:月曜 (忘れたら月、lunoを連想)
Mardo:火曜 (忘れたら火星、marsoを連想)
Merkredo:水曜 (忘れたら水星、マーキュリーを連想)
Ĵaŭdo:木曜 (忘れたら木星、ジュピターを連想)
Vendredo:金曜 (忘れたら金星、ヴィーナスを連想)
Sabato:土曜 (忘れたらお休み、サバトを連想)
Dimanĉo:日曜 (忘れたら神様、dioを連想)
アフォ~、そんなん連想しろったってソルチョさまは、すぐに思い出せるわけないじゃん。
Ni vidu!は、直訳すれば「見よう!」ですね。何を見るのかは前後関係で変わるでしょう。
Ni vidos.とすると、この先に何があるか(起こるか、結果を、など)を見るだろう(そのうちにわかるさ)といった意味に使われます。Ni vidu! は、もう少し積極的な意志が感じられます。
by esperakira (2006-01-07 08:41)
おぉ、esperakiraさん、ありがとうございます。
このあと話はどう続くかというと・・・
Duoble kvindek? Cent!
Duoble kvincent? dekcent????
oni diras: mil.
・・・と1,000の単位を教えるというスタイルになります。
そうなると、「(結果を)見てみよう」ぐらいの意味ですかね。
ありがとうございました。
by ソルチョ (2006-01-07 15:37)