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26:より多く、もっと多く [AŬTODIDAKTE]

うらぁ、なぁ~にがエスペラント語は簡単だ、お勉強しやすいだ! しっかりと、むずかしいじゃねぇーか。うまいこと言っていたヤツらめ、いっぺん血ぃ~吸うたろかぁ~。

というわけで、~ tiom da ~の入った構文は重要なのか。まだまだ続くのでおじゃる。
Ĉu homo havas tiom da piedoj kiom biciklo havas da radoj?
Jes.
はぁ~、「人はぁ、自転車が持っている車輪ぐらいの、それぐらいの数のあんよを持っているんかのう?」「ふぁ~い」ってか。コメントをいただいたesperakiraさんによると、分かりやすく直したほうがいいんだって。それに従うとだ、こうなるんか。
Ĉu homo havas tiom da piedoj kiom da radoj havas biciklo?
Jes.
ふむ、こうなると「人はぁ、自転車が持っている車輪の数ぐらいあんよを持っているんかのう?」「ふぁ~い」。意味は同じなんだけどね、なんとなく訳しやすくなったかな。

もう、いやだけど付き合うか。
Ĉu biciklo havas tiom da radoj kiom havas aŭto?
Ne.
Prave!
Aŭto havas pli da radoj ol havas biciklo.
ふぅ~、「自転車はぁ、車が持っているぐらいの車輪を持っちょりますかぁ?」「うんにゃ」「そのとおり」「車はぁ、自転車より、より多くの車輪を持っているよん」でいいんかな。また面倒なのが出てきたよ、それがpli ~ ol ~だ。~より、より多くの(もっと多くの)っちゅう意味なんだって。ol は比較の対象を導くんだって。って、それだけで分かるか!

ネット上には、こんな例文がころがっていたんだよ。
Ŝi estas pli bela ol Kleopatora.
こういう意味なんだと。「彼女はぁ、クレオパトラより、より美しいよ~ん」。だれか実物のクレオパトラを見たことあるんか? と、まぁ余計な突っ込みはやめといてだ、pli ~ ol ~はこう使うらしい。

なんだよぉ、~ tiom da ~pli ~ ol ~もいっしょにしちゃったのかぁ。んもぉ。
Aŭto havas tiom da radoj kiom havas kaleŝo, sed pli da radoj ol biciklo. 
ソルチョさまを混乱させる気か。「車はぁ、四輪馬車が持っているぐらいの車輪を持っちょるがぁ、自転車が持っているより、より多くの車輪を持っているよ~ん」でいいんだろうか。常識を疑われるような内容の例文だから、こっちの頭もおかしくなりそうだフォ~~。

やっぱり出てきましたねぇ、mal-が。
Biciklo havas malpli da radoj ol havas aŭto.
 
「自転車はぁ、車が持っているより、より少ない数の車輪を持っているよ~ん」だな。mal-って、こんなふうにも使えるんだぁ・・・。知らんかった。


25:数を比べているのか? [AŬTODIDAKTE]

現状では、日常では特にエスペラント語などを使う機会がない。まして中間テストや期末テストも、あるわけじゃぁない。だから、直ぐ忘れてしまう。困ったぴょん。

うまく訳せない。何がどうなっているか分からない構文なのだった。だれかぁ、ヘルプゥ~!
Motorciklo havas tiom da radoj kiom havas biciklo.
Ĉu skotero havas tiom da radoj kiom havas biciklo?
Jes, skotero havas tiom da radoj kiom havas biciklo.
うわぁ~ん、お勉強の限界だよ~ん。kiomは接続詞のようなもんなのかぁ?「オートバイはぁ、自転車が持っているだけの、それぐらいの(数の)車輪を持っているんだよん」と。なんとも、あやふや。一応、ti-は指示を表しているらしいのだけどねぇ、理解できん。「スクーターはぁ、自転車が持っているだけの、それぐらいの(数の)車輪を持っているんかのう?」「ふぁ~い、スクーターは自転車が持っているだけの、それぐらいの(数の)車輪を持っているよん」ってか。

あれこれネットの世界をさまよったら、こんな例文が出てきたんだな。
Ŝi estas tiel bela kiel Kleopatora.
「彼女はぁ、クレオパトラのようの美しいよ~ん」という意味なんだって。こりゃ、作文なんかできんわ。間違いなく。それに~ tiel ~ なんてお勉強していないし。ふんだ。

また、わっかんねぇの出てきたよ、どうするよ。
Kiom da piedoj havas kato?
Kato havas tiom da piedoj kiom havas ĉevalo.
まぁ、最初はいい。「ねこちゃんはぁ、いくつあんよを持っているのぉ?」。ほんで、そいつへの答えはこれでいいんか。「ねこちゃんはぁ、お馬さんが持っているだけのあんよを持っているよん」。まずます、こんな意味だろうて。

んっもう、涙が出てきた。
Ĉu aŭto havas tiom da radoj kiom ĉevalo havas da piedoj?
Jes, aŭto havas tiom da radoj kiom ĉevalo havas da piedoj.
なんだって、「車はぁ、お馬さんが持っているあんよだけ、それだけの(数の)車輪を持っちょるか?」。ほい、「ふぁ~い、車はお馬さんが持っているあんよだけ、それだけの(数の)車輪を持っているよ~ん」。

ちくしょう、~ tiom da ~の入った文章は鬼門だ。


24:エクは続くのだった [AŬTODIDAKTE]

このテキストはしつこいなぁ、まだ「ek-」を使った例文をのせちょる。「ek-」って重要なポイントなんかなぁ。そうは思えんけんども。

そして、まぁだ信号がどうとかこうとかの物語でおじゃった。
La ruĝa lumo ekmalbrilis, kaj la verda lumo ekbrilis.
Kiam la verda lumo ekbrilis, la aŭtobuso ekiris.
Ĝi ne plu staris, sed iris.
ええぇ~い、直訳のように行っちゃえ。最初は「赤灯は消え、ほんでミドリ灯がついたよん」。あん、頭に「Kiam」がついとるのに、疑問文じゃぁない。な、なんで・・・。どうやら「kiam」は、疑問詞のほかにも接続詞のような役割も持っているんだって。会話だったら、混乱するじゃんよ。と文句をいっておいてだ、こうなるんかのう。「ミドリ灯が点灯したとき、バスは動きだしましたぁ~」。ついには「そいつはぁ、もはや止まっているのではなく、動いたぁ~」ってか。もうちと、わかりやすくならんもんですかねぇ。

こういうときは、あれこれググってみる。発見したよ「ek-」の使い方でわかりやすいの。
Kiam vi ekloĝis en Kyoto?
Mi ekloĝis en Kyoto en 2000.
なぁ~るほどぉっちゅう例文だフォ~。「あんさんはぁ、いつ京都に住みはじめたのぉ?」「あたいはぁ、2000年に京都に住みはじめたんよ」。こっちの方がわかりやすい、んん。

こいつは状況が1回ではつかめなかった。というより、構文が複雑なんだよ、もう。
La verda lumo brilis, sed kiam li estis apud la trafiklumoj la verda lumo ne plu brilis, sed la ruĝa lumo brilis.
いってみっか。ん~と、言いまわしがくどいんだなぁ。「ミドリ灯が点灯していたけど、彼が信号のそばにいたとき、ミドリ灯はもはやついてなくて、赤灯が点灯していたよ~ん」。理解すんのに、時間がかかるよ、マジで。スキッといえんのか、スキッと。

物語はエンディングをむかえるのだった。
Kiam ruĝa lumo brilis veturilo ne plu iras.
こうかぁ、「赤灯が点灯したとき、乗物はもはや動いていなかったよん」。これで間違いないだろう、だぶん。

ところで「veturilo」には、ヒミツがあるらしい。この乗物という単語をバランバランにすると「veturilo」になる模様。つまりぃ、語幹とかいう「vetur」は(乗物に乗って)行くことで、これに接尾辞の「-il-」がついて、品詞語尾で名詞を表す「-o」がくっつく。んで、「-il-」は道具を意味するんだとさ。結論、乗って行く道具イコール乗物となるんだって。

veturilo veturilo:行く道具で「乗物」、ピンポ~ン
skribilo skribilo:書く道具で「ペン」、ブッブ~。答えは「筆記具」、ピンポ~ン
aŭskul
tilo aŭskultilo:聞く道具で「スピーカー」、ブッブ~。答えは「受話器」、ピンポ~ン

エスペラント語って、もうパズルだぴょん。


23:エクは、しはじめる [AŬTODIDAKTE]

忘年会シーズンで脳ミソも体調も極めて不調。あっ、脳ミソはもともとだったでおじゃる。

イラスト付きテキストは、こうだったフォ~~。
li sidas
li ekstaras
li staras.
「彼は座っているんだよん」「彼は立ちはじめたよん」「彼は立っているよん」。ということで、接頭辞「ek-」のお話しぃ~。エスペラント入門には「開始、瞬間的動作」とあるけど、うぅわからんですぅ。辞書をみると、これもむずかしい解説でありますぅ。なんだかなぁ。単純に「~しだす、~しはじめる」ではダメなのか。これでヨーソローにしておく。

それを受けて、こうなる。
li ne plu sidas
「彼はぁ、もはや座ってはいないよ~ん
」となるのかな。「ne plu 」は熟語らしい。「もはや~ではない、もはや~しない」という意味なんだって。例文がこれだけじゃなぁ、何かないかなぁ、ということで発見したぴょん。

Antaŭe mi lernis la francan lingvon, sed mi ne plu lernas ĝin.
なになに、「あたしは以前、フランス語をお勉強していましたがぁ、もはやそれをお勉強していないよ~ん」ってか。お約束だけど、ソルチョはフランス語をお勉強したことはないからね、これは例文だからね。お間違いなきよう。

テキストに復帰。これもまたややこしい。
Estis antaŭe kvin pomoj sur la telero, sed knabo prenis unu pomon, kaj nun estas nur kvar pomoj sur la telero.
ふぅ~、もぉどぉーして「kaj」のはいった文章はややこしくなるんだろう。「以前、皿の上に5個のリンゴがありましたがぁ、ぼうずが1個のリンゴを手に取ったのでぇ、いま皿の上には4個のリンゴだけだよ~ん」っと。いいんでしょ、これで。


22:過去のこと [AŬTODIDAKTE]

うわ~ん、2~3日ほど間をあけると、単語とかもろもろを忘れてしまう。だってさだってさ、年末だしさ、ソルチョは忙しいんだよ~。

テキスト上では、前回と同じシーンの言い回しを変えているのだった。テキストがないとわかんないって? いいの、いいの、ソルチョの備忘録だから。
La aliaj bildoj en la libro estas nekoloraj bildoj.  
えっと、la aliaj と冠詞がつく場合は1対多数を表現する場合なんだって。100個のドーナツがあったとして、ひとつだけチョコがかかっている場合、ほかのドーナツはla aliaj なドーナツということになる・・・、こんな理解でいいんかな。というわけで「本の中のほかの絵はぁ、無色の絵ですぅ」だね。

えらく複雑な構文だなぁ、理解すんのに時間がかかるじゃないか、えぇ・・・。
Ankaŭ ĝi estis nekolora bildo, sed Tambu prenis kolorajn krajonojn kaj per la koloraj krajonoj li kolorigis la bildon. 
うぅ~、「それもまた無色の絵でしたがぁ、タンブはぁ、色エンピツを手にとって、ほうして色エンピツを使って、彼は絵に色をぬりましたぁ」か。えらくややこしい。こんなの会話に出てきたら、絶対に理解できぬでおじゃる。それにしても「kaj」って便利なようだけど、構文を複雑にしてくれておる。

ちなみに、動詞のケツに「-is」がつくと、過去形になるんだって。つまりぃ、「prenis」だと、「preni」が基本形(不定法)、これまでさんざん出てきたようにケツに「-as」がついて「prenas」になると現在形(辞書には直説法・現在とあった、現在形でいいじゃんかよ)、「-is」がついた「prenis」は過去形(同じく直説法・過去とあった、過去形でいいじゃんかよ)。んじゃ、未来形は? ふん、まだ調べないよ。だって、テキストにまだ出てきてないんだもん。

これは時間の比較なんだって。ちゃんと理解しなくちゃぁね。
Antaŭe ĝi estis nekolora, sed nun ĝi estas trikolora.
Antaŭe Tambu havis nur nekolorajn bildojn, sed nun li havas unu koloran bildon. 
ほぉほぉ、両方の文章ともsedの前が過去形、sed以下は現在形になっちょる。「以前、そいつは無色だったけんども、いまそいつは3色だよん」か。「以前、タンブはぁ、無色の絵だけを持っていたけんども、いまはひとつのカラーの絵を持っているよん」ですな。これは。

テキストに「ESPERANTA GRAMATIKO」なるページがあって、これまで登場した動詞の過去形(表記はAntaŭeとなっている)と現在形(同じくNunとなっている)の一覧があった。覚えているかどうか試してみることにすっか。結果は、うぅうぅ・・・・・・ま、まずい。


21:接尾辞、自動詞・他動詞 [AŬTODIDAKTE]

世間様はクリスマスモードだというのに、ソルチョはお勉強。きょうはしんどかったなぁ、練習問題なんか「-j」や「-n」の付け忘れでボロボロだったでおじゃる。

似たような例文だ。
Tambu prenas la ruĝan krajonon kaj kolorigas unu aŭton.
Tambu prenas la verdan krajonon kaj kolorigas la alian aŭton.
Per la ruĝa kaj verda krajonoj li kolorigas la  aŭtojn.
んまぁ、「タンブはぁ、赤色のエンピツを手にとってぇ、1台の車に色をぬったよん」と。で、次は「タンブはミドリ色のエンピツを手にとってぇ、他の車に色をぬったよん」。最後は、これでどうだ、「赤とミドリ色のエンピツを使ってぇ、彼はぁ車に色をぬったよん」。ふぅ~。

どうやら、どぉーしても覚えさせたいのは接尾辞の「-ig-」にあるらしいな、これは。「-ig-」を辞書でみても、まったくわからんのよ。「自動詞的語幹について他動詞的語幹にする」だの「形容詞的語幹について、~の形・状態にならす」だの「名詞的語幹について、~にする」・・・。わかるか、こんなんで、勘弁してくれよ!もぉ~。

だいたい自動詞と他動詞って、なんだったんだっけ? エスペラント語関係のサイトをさんざん探した結果、「他動詞:ほかの人や物に働きかける意味を持つ動詞」「自動詞:自ら変化をとげる意味を持つ動詞」というのを見つけた。なんですかいのう、この説明は。ますますわからなくなったぴょん。

こういうときは英語系サイトが役に立つ。なにしろ、英語のお勉強系サイトはくさるほどあるからね。すぐ、いい説明が見つかりましたぁ。
 自動詞とは『目的語をもたない動詞』のこと。
 他動詞とは『目的語をもつ動詞』のこと。
なるほど、こっちの方が断然わかりやすい。やっぱり英語のお勉強サイトだわ。エスペラント語関係のサイトでも、こうしたかゆいところに手が届くような文法解説を載せてほしいもんですなぁ。もう二度と見ねぇぞ、コラッ。まあまあ、おだやかにね。

というわけで、動詞ばかりではなく「語幹+ig+品詞語尾」の組み合わせで、いろいろな意味を持たせることができるんだって。
kolorigi = kolorigi:これで、彩色する
ruĝigi = ruĝigi:これだと、赤くする
verdigi = verdigi :これなら、ミドリにする
bildigi = bildigi:なんと、図式化する

すげぇーと思っていたら、さらに接頭辞を加えて、これまで出てきた単語でも、やろうと思えばこんなんこともできるんだって。もぉ、なんといいましょうか。
garandigo = garandigo:拡大
malgarandigo = malgarandigo:縮小
longigo = longigo:延長
mallongigo = mallongigo:短縮
ヒェ~~~、エスペラント語、すごいですねぇ。

Bone!
備忘録。意味は「よろしい、うまい」なんだけど、英語だったら「OK」みたいなもんなんだって。

ちっ、エスペラント語のやさしい文法解説サイトがないもんだから、きょうはテキストも1ページしか進まんかったじゃないか。気分はどよ~んだよ。


20:あやふやな位置関係 [AŬTODIDAKTE]

このテキスト「SALUTON! ESPERANTO AŬTODIDAKTE」を使って、やっと20回目。でもなぁ、まだテキストの1/4も進んでいないわけよ・・・・・・。

いつも出てくるぼうず、そしておじょうの状況を対比してみるぴょん。
Sur seĝo apud la malgranda tablo Karu sidas kaj aŭskultas la diskon.
Tambu sidas sur seĝo ĉe malgranda tablo.
どげなことかといえばだな、まずはおじょうから。「カールは、ちっちゃいテーブルのそばのイスの上にすわって、ほいでレコードを聞いているよん」と。一方、ぼうずはこうだ。「タンブは、ちっちゃいテーブルのところのイスの上にすわっちょる」と、こんな感じかな。

どうも「apud」と「ĉe」の関係を覚えさせたいらしいんだな、これが。距離、心理的距離などの位置関係らしい。はいはい、ぜぇ~んぜんよくわからんですぅ。心理的距離とやらでたとえてみるかぁ。これでいいのかなぁ、例えばあおくさい男女。小中学生でお互いに意識しあう年頃と仮定すると、男と女が並んで歩く場合、ちびっと恥ずかしいので離れて歩く。この男と女の離れた位置関係が「apud」。大人になってエロエロなことを覚えると、男女はひっついて歩く。このべったりした男女の位置関係が「ĉe」。たぶん、違うかも。辞書には「apud」は「~のそばで、~のかたわら」、「ĉe」は「~のところで、~に接して」だから、言葉ジリをとらえれば、そうなるんだけどなぁ。

ちなみに「apud」はアープドゥと発音するらしい。辞書には「a」にアクセントあり、よって発音注意と書いてあったから、まぁこう発音するんだろうよ。ヨーソロー。

あぁ、こいつの意味わかんないよ。短い文なにねぇ、ご同輩の方々。
Sur unu paĝo estas bildo de strato.
ともかく、なんやらのページには、街路の絵があることはわかった。ほんでもって、なんやらのページとは、どんなページなんだぁ、わっかんねぞ。「unu」は1だから、1ページかぁ、それともひとつのページの上には、いやぁ~これも違うなぁ。ここには書かんが、あとの文章の意味が続かんて。

どうやら「unu paĝo」は「あるページ」という意味らしい。ホンマかぁ。1ページとかいう場合には「la unua paĝo」とか「la paĝo unu」とかになるらしい。らしいだから、自信はないよ~んだ。万が一、これを読んでいる人は信用しないこと。よろしいでちゅかぁ~。でも、「unu tagon」で「ある日」となるらしいし、「en unu tago」では「ある日のこと」となるらしいからなぁ。判断ができないので、どよ~ん。

まったく、まだビギナーなんだから、意味がわかりやすい文章で接してほしいもんです。ホンマ、このテキストはまわりくどい表現が多い割りには、むずかしそうなところはサラリと流しちょる。


19:なぜ~? なぜならば~ [AŬTODIDAKTE]

だんだんむずかしくなってきたでおじゃる。 んもお、毎日がふんばりどころってかぁ?

う~と、まずは発音の備忘録と。
S-ro Manda Rino estas la edzo de s-ino Marga Rino, kaj la patro de Tambu Rino.
S-ino Cip Selo estas la edzino de s-ro Petro Selo, kaj la patrino de Karu Selo.
お約束だけど、登場人物はテキストの登場人物。で、「マンダ・リーノ氏はマルガ・リーノ夫人のダンナでぇ、タンブ・リーノのトウチャンだよん」「ツィップ・セーロ夫人はペトロ・セーロ氏の奥方でカール・セーロのカアチャンだよん」。意味的にはこんなところか。edzoは、どう発音するんじゃろ。子音が入っちょるしなぁ、「エッゾ」とは思うが、エスペラント語の一字一音原則からいえばッとゾの間にかぁ~るくドがはいるんだろうなぁ、きっと。発音できるかい、もう。そうなると、edzinoは「エッズィーノ」となるんかのう。まぁええわ、このままヨーソロー。

ほほ~い、熟語の備忘録。
Unu domo apartenas al s-ro Manda Rino kaj s-ino Marga Rino.
よくわからんのだけど、apartenasapartenas al とセットになって「(~の)ものである」の意味になるみたい。だからぁ「ひとつの家はマンダ・リーノとマルガ・リーノのものでこざる」でいいのか。多分にapartenas al は熟語なんだろうな。

ほんで、こいつを疑問文にしてやると、こうなるらしい。
Kies domo staras inter du altaj arboj?
La domo de la familio Rino.
「2本の木の間にある家はだれのもんじゃい?」「リーノ家の家じゃい」。疑問詞のki-ではじまるやつは多いなぁ、混乱するなぁ、覚えられんなぁ。みんな、ちゃんと覚えてんだろうか。

場面は変わって、路上の話になっていますなぁ。
La ruĝa trafiklumo brilas, kaj la aŭtoj staras.
Ili ne iras ĉar la ruĝa lumo brilas.
コ、コラァ、trafiklumoなんて辞書に出ていねぇぞ。イラストをみれば交通信号のことであろうと思うが、交通信号なら辞書にはtrafiksignaloって出てんだけどね、一体どういうこったい。エスペラント語やってる人たちお得意の国の文化の違いってかぁ。そんなら、そうと辞書に書いておけ! ちなみにこのテキストはオランダ人が作ったものらしい。というわけで、「赤信号が光っていて、車は止まっちょる」「それらはぁ、赤い灯火が光っちょるもんだから進んでいないよん」だな。灯火ねぇ、いい文句が思い浮かばん。ランプだとlampoって単語があるようだしなぁ。ここもヨーソローで流すかぁ。

ほんで、テキストの神の声はこう聞いてくるのであった。
Kial la aŭtoj ne iras?
Ĉar la ruĝa lumo brilas.
「車が進んでいないのはなぁ~ぜぇ~?」「なぁ~ぜならばぁ~、赤い灯火が光っているからだぁ~」。こういうことかな、つまりKial ~?でなぜ~と問われたならば、Ĉar ~で疑問に対する理由をなぁ~ぜならばぁ~と答えてやる。Kial ~?
Ĉar ~とひとくくりにして覚えてしまおっと。

おそらく、Kial ~? Ĉar ~みたいな構文は、よく使うに違いない。それなのに、くどいほど繰り返し同じような表現を出してくるのが特色のこのテキスト、このページでは1箇所しか出てこない。それこそなぁ~ぜぇ~だよな。そして、物語の最後をこう締めていやがるんだ。
La aŭtoj iras, ĉar la verda lumo brilas.
「ミドリの灯火が光ったので、車は進んでいるよん」。はいはい。


18:意味を問う、動詞の命令形 [AŬTODIDAKTE]

あらかじめ、断っておきます。ソルチョはエスペラント語の専門家ではありませぬ。発音の間違いや「-n」の付け忘れとかを指摘されておじゃる。お勉強をはじめて、ん~と1ヵ月ぐらいはたったかな、まぁそんなレベルなんだけど・・・。どうも、いろいろ書いていただいたコメントをみると・・・・・・、おそろしかぁ。ありがたいんですけどね・・・。

まわりぐどい説明だぴょん。
Ĉu ni skribas bildojn aŭ vortojn?
Ni skribas ne bildojn, sed vortojn.
Prave!
Ni skribas vortojn, sed ni desegnas bildojn.
「おいらたちはぁ、絵それとも言葉を書いているんでっか?」「おいらたちはぁ、絵ではなくてぇ、言葉を書いているんだよん」「そのとおり」「おいらたちはぁ、言葉を書いていているけど、絵も描くよん」かな。最後の行は自信ないなぁ。テキストには、まだまだくどくどと書かれているんだが、どうやらこういうことらしい。文字や文章を書くのが「skribas」で、絵なんかを描くのは「desegnas」。これだけの説明のために2/3ページも費やすなってんだよ、まったく。

最初は、こいつの意味がまったく分からなかった。
Ŝi skribas   signifas   ŝi faras vorton per plumo.
なんでじゃぁ~、なんで動詞が続いて何度もでてくるんじゃぁ??? こいつは、こう訳すらしい。「おじょうが書いているよんはぁ、おじょうがペンを使って単語を作っている意味だよん」。いろいろと辞書なんかをひっくり返した結論としてはだ、「A signifas B」、つまり「Aということは、Bということでっせ」という構文を覚えさせたいらしいんだって。おいおい、もうちょっと例文の出し方ってもんがあるんではないかい? これじゃぁ混乱するぜぇ、間違いなく。

ほぅ~してぇ、いろいろと意味を聞きたいときには、このテキストの物語上では、こう使うみたい。
Kion signifas "ŝi skribas"?
 "ŝi skribas" signifas "ŝi faras vorton per plumo"
「おじょうは書いているよんは、どんな意味でっか?」「おじょうが書いているよんは、おじょうがペンを使って単語を作っている意味だよん」。もうちょっとマシな例文がほしいよねぇ~。

そこで、こんな例文があるそうな。
Kion signifas tio?
Kion signifas la vorto "kompreni"?
上から「そいつは、どういう意味なんかのぉ?」「コンプレーニの単語の意味は、なんですかいのぉ?」。絶対、こっちの方が覚えやすい。そう思わんかぁ?

Bonvolu skribi la signifon de "ili parolas".
ん~と、動詞のケツに「-u」が付いたときは、命令形なんだって。依頼も含むんだって。用法をみたら「聞き手に対する場合、主語をつけないのがふつう」なんだって。理解できたような、できないような。で、「どうかぁ、ヤツらが話しますぅの意味を書いてちょうだい」になると思う。たぶん。

ちなみに、このお願いは練習問題。ヤツらが話しているよんの意味はなぁ~にって聞かれてもなぁ、分かるかぁ。テキストでもむずかしいと思っているようで、解答は一番下にこっそりと出ている。
La signifo de "ili parolas" estas : Ili malfermas buŝo kaj diras vortojn.
ソルチョもすぐに解答をみた。「ヤツらが話しているよんの意味はぁ、ヤツらが口をあけてぇ、そうして言葉を言うことだよん」。

解答をみて、このテキストをほうり投げたくなった。


17:言語、あたいとあたいたち [AŬTODIDAKTE]

つらいなぁ~。何がつらいって、文章的にはこれまで出てきた構文なんだけど、新しい単語がどんどん出てくるんだよ。まぁ、このテキストの戦略としてはだ、簡単な構文の単語をとっかえひっかえしながら、単語も構文も覚えろ!ということなんだろうな。そうはいっても、なかなか覚えられんよ。

Jen Karu Selo.
「カール・セーロでっせ」と、いつものとおりおじょう登場。
Ŝi havas plumon.
Ŝi havas ankaŭ kajeron.
「おじょうはペンを持っているよん」「おじょうはノートもまた持っているよん」。ふんふん、で、どうしたの?

En la kajero ŝi skribas per plumo la literon 'E'.
Post la litero E ŝi skribas la literon 'so'.
なんだってぇ~、「ノートの中におじょうはぁ、Eの文字をペンを使って書いたよん」と。ほんでもって、「Eの文字のあとにぃ、おじょうはの文字を書いたよん」ってか。ホントかどうか知らんが、どうもエスペラント語でなんかは、子音だけで表現してはイカンらしい。どうも、そうらしい。

おじょうはいろいろ文字を書いた模様。書いた文字を見てみたら、な、なんと・・・
Nun en ŝia kajero estas la vorto 'Esperanto'.
La vorto 'Esperanto' estas la nomo de lingvo.
Esperanto estas lingvo.
ほうほう、「いま、おじょうのノートの中にはぁ、Esperantoの単語がありまっせ」と。「Esperantoの単語はぁ、言語の名前だよん」、ほいきた「Esperantoはぁ言語だよん」。で、できすぎている話だ。いくらエスペラント語の教科書だからってなぁ。

ここからこの教科書の真骨頂。例によっておじょうのトウチャン、そしてぼうずとそのカアチャンが出てきて自慢する。いや、自慢じゃなくて、これまでの単語の復習と理解しよう。
Ili ankaŭ legas kaj skribas la lingvon, Esperanto.
Ili ne nur parolas, sed ankaŭ legas kaj skribas Esperanton.
なんだかなぁ、カイで動詞をつないだ、修飾関係の面倒くさそうな文章だなぁ。「やつらはぁ、エスペラントの言語を、また読みも書きもするよん」かな。次は「やつらはぁ、話すだけではなくて、エスペラントを読みも書きもするよん」ってか。似たような文章だなぁ。直訳のように訳していくとくどいけど、なぁ~んとなく作文をするとき、日本語をどうバラしていくかのヒントになりそうな気がする。あのね、ソルチョは作文がまだできませんよ。ただね、シックスセンスがそう感じただけ。

Vi  kaj  mi  =  ni
コ、コラァ、突然出てきて、これで文法の説明をしたつもりか! なに考えてんだ。「あんたとあたいで、あたいたち」を表現したつもりかな。つまりだな1人称のmiの複数がniなんだと。ついでに2人称のviの複数は、そのまんまviなんだって。混乱の素だな、こりゃ。


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